2026年7月28日、最大震度7の地震発生後、イオンモール熊本で大規模な爆発事故が起きました。イオンの2026年8月2日付発表によると、人的被害は死亡7人、負傷26人の計33人です。その後、イオンは外部専門家で構成する事故調査委員会の設置を発表しました。
この事故をめぐっては、避難後の従業員に対する業務指示のあり方も重要な問題となっています。
地震や爆発で一度避難した後、上司から「売上金を金庫へ入れてほしい」「商品や書類を取りに戻ってほしい」と指示されたら、従業員は従うべきなのでしょうか。
結論からいえば、安全が客観的に確認されていない建物へ戻る指示には、従わない判断が必要です。
目次
マニュアルどおりなら正しいとは限らない
災害対応マニュアルは、避難や安否確認を円滑に進めるために欠かせません。しかし、マニュアルはあらゆる事故を完全に想定できるものではありません。
地震だけを想定したマニュアルであっても、現実には地震の後に火災、爆発、ガス漏れ、停電、建物の損傷などが同時に起こることがあります。想定を超える複合災害が発生した場合、書かれた手順を機械的に続けることが、かえって人を危険にさらす可能性があります。
マニュアルは判断を助ける道具であり、危険を無視して従う絶対命令ではありません。
大切なのはマニュアルを守ったという形式ではなく、実際に人命を守れたかどうかです。
従うべき指示と、従わないほうがよい指示
避難後であっても、すべての業務指示を拒否してよいわけではありません。
安否確認、点呼、安全な場所での待機、顧客への案内、安全な別施設での事務作業など、危険のない合理的な指示には原則として従います。
一方、次のような指示には従わない判断が必要です。
- 消防・警察による安全確認前の再入館
- 立入規制区域での作業
- 売上金、商品、書類、私物を回収するための入館
- ガス漏れ、再爆発、火災、倒壊の可能性が残る場所での作業
- 「少しの時間だから大丈夫」という、根拠のない入館指示
人命より優先される売上金や商品はありません。財産は後から回収できますが、命や健康は取り戻せません。
「上司の命令だから」は安全の根拠にならない
通常の職場では、従業員には合理的な業務命令に従うことが求められます。しかし、急迫した危険が疑われる災害現場では、上司の命令だけを根拠に行動してはいけません。
労働安全衛生法第25条は、労働災害発生の急迫した危険があるとき、事業者に対して直ちに作業を中止し、労働者を退避させるなどの措置を求めています。また、労働契約法第5条により、使用者には労働者が生命・身体の安全を確保しながら働けるよう配慮する義務があります。
したがって、再入館を指示された場合は、少なくとも次の点を確認する必要があります。
- 消防・警察は立入りを許可しているか
- 誰が建物や設備の安全を確認したのか
- ガス、電気、火災、倒壊の危険は解消されたか
- 入館する目的は人命救助か、それとも財産回収か
- 指示内容と安全の根拠を文書で示せるか
安全の根拠が示されない場合は、館内へ戻らず、安全な場所で待機するのが適切です。
命令に従って被災した場合、誰が責任を負うのか
上司の業務命令に従った従業員が被災した場合、第一に検討されるのは、その命令を出し、従業員の安全を確保すべき立場にあった会社側の責任です。
会社が危険を知りながら再入館を命じた、安全確認を行わなかった、従業員の訴えを無視したといった事情があれば、安全配慮義務違反として損害賠償責任を問われる可能性があります。
さらに、次の関係者についても個別に責任が検討されます。
- 危険な指示を出した上司
- 従業員を雇用しているテナント会社
- 建物・設備・避難を管理する施設管理者
- ガス設備や工事に関係する事業者
- 事故原因を作った第三者
責任が一か所だけに限定されるとは限らず、複数の会社や関係者の責任が認められることもあります。
なお、業務命令による行動中の負傷や死亡は、業務との関係が認められれば労災保険の対象となります。労災かどうかを最終的に判断するのは会社ではなく、労働基準監督署です。会社が責任を認めなくても、本人や遺族は労災申請ができます。
被災してから責任を調べても遅い
事故後に責任の所在を明らかにすることは必要です。しかし、責任者が分かったとしても、失われた命や健康が戻るわけではありません。
だからこそ、災害時には次の原則が重要です。
危険だと証明されるまで働くのではなく、安全だと確認されるまで近づかない。
危険が疑われる場合は、まず作業を止め、避難し、安否を確認します。その後、消防・警察、施設管理者、専門技術者などによる客観的な安全確認を待ちます。業務の再開は、その後です。
危険な指示を受けたときの伝え方
単に「命令には従いません」と言うと、業務全体を拒否したと受け取られる可能性があります。危険な作業だけを具体的に拒否し、安全な代替業務には対応する意思を伝えましょう。
現在、消防・警察または施設管理者による安全確認が取れているか分からないため、館内へ戻ることはできません。正式な立入許可と安全確認が得られるまで、安全な場所で待機します。館外または安全な別施設で行える業務には対応します。
指示を受けた日時、指示者、内容、安全確認の説明などは、メール、チャット、録音、メモなどで保存しておくことも大切です。
災害時の判断の優先順位
災害時には、次の順序で判断します。
- 人命と身体の安全
- 消防・警察など公的機関の指示
- 現場の客観的な安全確認
- 災害対応マニュアル
- 上司の業務指示
- 売上金・商品・営業上の都合
上司の命令や会社のマニュアルが、消防・警察の立入規制や人命の安全より優先されることはありません。
まとめ
災害対応マニュアルも、上司からの指示も、本来は人命を守り、組織的に対応するためのものです。それが人を危険な場所へ戻す理由になってはなりません。
マニュアルを守ることが目的ではありません。人命を守ることが目的です。
迷ったときは、まず退避する。安全が確認されてから戻る。結果的に危険がなかったとしても、避難という判断はやり直せます。しかし、被災してからでは遅いのです。
よくある質問(FAQ)
Q1.上司から命令されたら、必ず従わなければなりませんか?
通常の合理的な業務命令には原則として従います。しかし、爆発、火災、倒壊などの急迫した危険があり、安全確認もない場合は、危険な作業を拒否して退避する判断が必要です。
Q2.マニュアルに再入館すると書かれていたら、戻るべきですか?
無条件に戻るべきではありません。実際の状況がマニュアルの想定を超えている場合、消防・警察の指示と客観的な安全確認を優先します。
Q3.命令に従って負傷した場合、労災になりますか?
業務命令による行動と負傷との間に業務上の関係が認められれば、労災となる可能性が高いと考えられます。認定は会社ではなく労働基準監督署が行います。
Q4.会社が「自己責任だ」と言ったらどうすればよいですか?
指示の記録、メール、チャット、目撃者、当時の立入規制、安全確認の有無などを保存し、労働基準監督署や労災に詳しい弁護士へ相談してください。会社の主張だけで責任が確定するわけではありません。
Q5.安全か危険か分からない場合はどうしますか?
安全だと確認できない場合は、いったん危険と考えて退避します。「安全が確認されるまで近づかない」が基本です。
参考資料
- イオン株式会社「イオンモール熊本の爆発事故について(第3報)」
- イオン株式会社「事故調査委員会設置のお知らせ」
- e-Gov法令検索「労働安全衛生法」
- e-Gov法令検索「労働契約法」
- 厚生労働省「労働災害が発生したとき」
※本記事は一般的な情報提供を目的とするもので、個別の事件について法的責任を断定するものではありません。具体的な被害や紛争については、労働基準監督署、労働局、弁護士などの専門機関へご相談ください。
