ただし、中期と後期を橋渡しする大江健三郎不朽の傑作『万延元年のフットボール』だけは、ずっと在庫切れはしないと思う。 右翼も左翼もこれ読まずに大江(大江文学)を語る。仮に読んでもちんぷんかんぷん(笑)。なぜなら、圧倒的な想像力が駆使されているから。すべてのテーマが詰め込まれている。 返信
RT @ts7i: ソースを明示してくれる Bing なら信用できるかと思いきや、そんなことはなかった。タイトルと発表年が正しいのは『飼育』『万延元年のフットボール』だけで、『個人的な体験』『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は発表年が違う。それ以外は実際には存在しないタイトル。… 返信
RT @ts7i: ソースを明示してくれる Bing なら信用できるかと思いきや、そんなことはなかった。タイトルと発表年が正しいのは『飼育』『万延元年のフットボール』だけで、『個人的な体験』『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は発表年が違う。それ以外は実際には存在しないタイトル。… 返信
ソースを明示してくれる Bing なら信用できるかと思いきや、そんなことはなかった。タイトルと発表年が正しいのは『飼育』『万延元年のフットボール』だけで、『個人的な体験』『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は発表年が違う。それ以外は実際には存在しないタイトル。 返信
RT @VZlHaHj18EPuhct: 万延元年のフットボール 大江健三郎 ノーベル文学賞受賞 万延元年の一揆を曾孫が復活させる。不安と欲望で鬱屈する村の若者に正義の剣を与え煽動し村全体が狂気の祭りとなり権力者のスーパーマーケットの天皇を断罪し強奪する。 #読了 絶版させて… 返信
RT @Hanakayo2701: 「恥というブレーキを失う日本」今朝4/2の朝日新聞、中村文則氏大江健三郎『万延元年のフットボール』論じ作中恥の概念が通底するのに注目。今や日本から恥の感覚が失われつつあり、政治家見ても恥の欠落示すと。 いや、恥の欠如は政治家から始まったと思う… 返信
「恥というブレーキを失う日本」今朝4/2の朝日新聞、中村文則氏大江健三郎『万延元年のフットボール』論じ作中恥の概念が通底するのに注目。今や日本から恥の感覚が失われつつあり、政治家見ても恥の欠落示すと。 いや、恥の欠如は政治家から始まったと思う。安倍元首相の虚偽答弁こそ恥の欠如示した。 返信
大江健三郎のことば 中村文則 《「新生活をはじめなければならないよ、蜜」と鷹四は加速度的に説得性をつよめてくりかえした》『万延元年のフットボール』 『万延元年…』はすごく複雑な話です。主人公の蜜三郎は親しい友人が自殺して、誕生した長男に障碍があったことで→ https://t.co/4fcyTMtB2y 返信
宮沢賢治の視点から大江健三郎を読んでみるという試みはとても面白いと思う。 2023年4月2日の朝日新聞朝刊では中村文則さんがやはり『万延元年のフットボール』を取り上げている。中村さんが強調している「恥」という概念も「よだかの星」のよだかを表すのにちょうどいいようにわたくしには思われる。 返信
先月大江健三郎さんが亡くなりテレビや新聞で追悼が続いている。 1995年刊行の『宮沢賢治研究 Annual vol.5』の中に「宮沢賢治と大江健三郎」と題した大隈満氏の研究ノートがある。 『万延元年のフットボール』の中で引用された宮沢賢治の文語詩をめぐって論は進められている。 返信
「万延元年のフットボール」は読んでませんが、他の初期作品は繰り返し読んでました。恥が初期作品の主要なテーマとのこと。「不満足」という短編は、何度も読みました。 https://t.co/TKkFtubTRi 返信
@kohyu1952 大江健三郎さん。「万延元年のフットボール」が名作。「沖縄ノート」では名誉を傷つけられたと元隊長から訴訟を起こされた。反戦活動家のイメージが強い「。「日本で純文学は社会の隅においやられている。文学の復活を願っている。」と述べたことは共感する。僕はヘルマン・ヘッセの大ファンだから。 返信
大江健三郎の万延元年のフットボールを再読、しはじめた。20代で大江文学たくさん読んだけど、全部みごとに忘れてる。読み返すとその後の経験のぶん"わかる"ことも多い。夫婦の諍いの場面とか、沁みるしな。また新しい読書経験になるだろう。 返信
RT @Hanakayo2701: 「恥というブレーキを失う日本」今朝4/2の朝日新聞、中村文則氏大江健三郎『万延元年のフットボール』論じ作中恥の概念が通底するのに注目。今や日本から恥の感覚が失われつつあり、政治家見ても恥の欠落示すと。 いや、恥の欠如は政治家から始まったと思う… 返信
RT @Hanakayo2701: 「恥というブレーキを失う日本」今朝4/2の朝日新聞、中村文則氏大江健三郎『万延元年のフットボール』論じ作中恥の概念が通底するのに注目。今や日本から恥の感覚が失われつつあり、政治家見ても恥の欠落示すと。 いや、恥の欠如は政治家から始まったと思う… 返信
RT @radio_critique: 大江健三郎の『万延元年のフットボール』は、ある意味、映画『ファイト・クラブ』みたいな話だよって言えば、みんな読むかしら?https://t.co/dNYvYWkK2U 返信
RT @hinohinoki: #大江健三郎 もそういえば亡くなったな……。純文学のセンテンスで未だに印象深いのが『万延元年のフットボール』の 熱い「期待」の感覚 だ。ほとんど間を置かずに重複してこのセンテンスが出てくる。2度目も「それ」「その」等の指示詞ではなく 熱い「期待」… 返信
#大江健三郎 もそういえば亡くなったな……。純文学のセンテンスで未だに印象深いのが『万延元年のフットボール』の 熱い「期待」の感覚 だ。ほとんど間を置かずに重複してこのセンテンスが出てくる。2度目も「それ」「その」等の指示詞ではなく 熱い「期待」の感覚 と強い圧力で書かれている。 返信
ただし、中期と後期を橋渡しする大江健三郎不朽の傑作『万延元年のフットボール』だけは、ずっと在庫切れはしないと思う。
右翼も左翼もこれ読まずに大江(大江文学)を語る。仮に読んでもちんぷんかんぷん(笑)。なぜなら、圧倒的な想像力が駆使されているから。すべてのテーマが詰め込まれている。
RT @ts7i: ソースを明示してくれる Bing なら信用できるかと思いきや、そんなことはなかった。タイトルと発表年が正しいのは『飼育』『万延元年のフットボール』だけで、『個人的な体験』『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は発表年が違う。それ以外は実際には存在しないタイトル。…
RT @ts7i: ソースを明示してくれる Bing なら信用できるかと思いきや、そんなことはなかった。タイトルと発表年が正しいのは『飼育』『万延元年のフットボール』だけで、『個人的な体験』『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は発表年が違う。それ以外は実際には存在しないタイトル。…
ソースを明示してくれる Bing なら信用できるかと思いきや、そんなことはなかった。タイトルと発表年が正しいのは『飼育』『万延元年のフットボール』だけで、『個人的な体験』『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は発表年が違う。それ以外は実際には存在しないタイトル。
RT @VZlHaHj18EPuhct: 万延元年のフットボール
大江健三郎
ノーベル文学賞受賞
万延元年の一揆を曾孫が復活させる。不安と欲望で鬱屈する村の若者に正義の剣を与え煽動し村全体が狂気の祭りとなり権力者のスーパーマーケットの天皇を断罪し強奪する。
#読了
絶版させて…
RT @Hanakayo2701: 「恥というブレーキを失う日本」今朝4/2の朝日新聞、中村文則氏大江健三郎『万延元年のフットボール』論じ作中恥の概念が通底するのに注目。今や日本から恥の感覚が失われつつあり、政治家見ても恥の欠落示すと。
いや、恥の欠如は政治家から始まったと思う…
「恥というブレーキを失う日本」今朝4/2の朝日新聞、中村文則氏大江健三郎『万延元年のフットボール』論じ作中恥の概念が通底するのに注目。今や日本から恥の感覚が失われつつあり、政治家見ても恥の欠落示すと。
いや、恥の欠如は政治家から始まったと思う。安倍元首相の虚偽答弁こそ恥の欠如示した。
大江健三郎のことば 中村文則
《「新生活をはじめなければならないよ、蜜」と鷹四は加速度的に説得性をつよめてくりかえした》『万延元年のフットボール』
『万延元年…』はすごく複雑な話です。主人公の蜜三郎は親しい友人が自殺して、誕生した長男に障碍があったことで→ https://t.co/4fcyTMtB2y
宮沢賢治の視点から大江健三郎を読んでみるという試みはとても面白いと思う。
2023年4月2日の朝日新聞朝刊では中村文則さんがやはり『万延元年のフットボール』を取り上げている。中村さんが強調している「恥」という概念も「よだかの星」のよだかを表すのにちょうどいいようにわたくしには思われる。
先月大江健三郎さんが亡くなりテレビや新聞で追悼が続いている。
1995年刊行の『宮沢賢治研究 Annual vol.5』の中に「宮沢賢治と大江健三郎」と題した大隈満氏の研究ノートがある。
『万延元年のフットボール』の中で引用された宮沢賢治の文語詩をめぐって論は進められている。
「万延元年のフットボール」は読んでませんが、他の初期作品は繰り返し読んでました。恥が初期作品の主要なテーマとのこと。「不満足」という短編は、何度も読みました。 https://t.co/TKkFtubTRi
万延元年のフットボール読み終わり!
@kohyu1952 大江健三郎さん。「万延元年のフットボール」が名作。「沖縄ノート」では名誉を傷つけられたと元隊長から訴訟を起こされた。反戦活動家のイメージが強い「。「日本で純文学は社会の隅においやられている。文学の復活を願っている。」と述べたことは共感する。僕はヘルマン・ヘッセの大ファンだから。
大江健三郎の万延元年のフットボールを再読、しはじめた。20代で大江文学たくさん読んだけど、全部みごとに忘れてる。読み返すとその後の経験のぶん"わかる"ことも多い。夫婦の諍いの場面とか、沁みるしな。また新しい読書経験になるだろう。
RT @Hanakayo2701: 「恥というブレーキを失う日本」今朝4/2の朝日新聞、中村文則氏大江健三郎『万延元年のフットボール』論じ作中恥の概念が通底するのに注目。今や日本から恥の感覚が失われつつあり、政治家見ても恥の欠落示すと。
いや、恥の欠如は政治家から始まったと思う…
RT @Hanakayo2701: 「恥というブレーキを失う日本」今朝4/2の朝日新聞、中村文則氏大江健三郎『万延元年のフットボール』論じ作中恥の概念が通底するのに注目。今や日本から恥の感覚が失われつつあり、政治家見ても恥の欠落示すと。
いや、恥の欠如は政治家から始まったと思う…
もう1作くらい読みたいが。『飼育』『個人的な体験』『万延元年のフットボール』あたりが気になる。
村上春樹の第2作目『1973年のピンボール』についても、村上本人が「『万延元年のフットボール』から拝借した」と『村上RADIO』(東京FM、2021年8月21日放送)で発言している。
たぶん大江健三郎さんは同時代ゲームと万延元年のフットボールを読まないと読んだと言えないんだろうな。
RT @radio_critique: 大江健三郎の『万延元年のフットボール』は、ある意味、映画『ファイト・クラブ』みたいな話だよって言えば、みんな読むかしら?https://t.co/dNYvYWkK2U
RT @hinohinoki: #大江健三郎 もそういえば亡くなったな……。純文学のセンテンスで未だに印象深いのが『万延元年のフットボール』の 熱い「期待」の感覚 だ。ほとんど間を置かずに重複してこのセンテンスが出てくる。2度目も「それ」「その」等の指示詞ではなく 熱い「期待」…
大江健三郎の『万延元年のフットボール』は、ある意味、映画『ファイト・クラブ』みたいな話だよって言えば、みんな読むかしら?https://t.co/dNYvYWkK2U
#大江健三郎 もそういえば亡くなったな……。純文学のセンテンスで未だに印象深いのが『万延元年のフットボール』の 熱い「期待」の感覚 だ。ほとんど間を置かずに重複してこのセンテンスが出てくる。2度目も「それ」「その」等の指示詞ではなく 熱い「期待」の感覚 と強い圧力で書かれている。